「不確実性のマネジメント 新薬創出のR&Dの『解』」 桑嶋 健一

「巨額投資のギャンブルともイメージのある医薬品の研究開発において、研究開発成果を高めるマネジメントや競争優位の源泉は存在しないのだろうか?」

本書は、業界外から「ブラックボックス」と言われる新薬創出・開発のマネジメント、競争優位の源泉に関して、経営学に基づく鋭い分析とデータや現場からの情報収集に基づく洞察により、その「謎」の解明に迫ったビジネス書です。

また、業界外からは非常に分かりにくい新薬の開発のプロセスについて、メバロチンやアリセプトの開発の実例やエピソードを用いたり、いくつかの大手製薬企業のデータを活用しながら、業界外の人にもわかりやすく解説されています。

私自身、製薬企業にいましたが、MRやマーケティング関連の部門にいたため、研究・開発の組織や実務に関して詳しく触れることはありませんでした。また、そのマネジメントや競争優位の源泉についても、まさに「謎」のままでした。

本書では、現実のケースとインタビューやデータをもとに、この「謎」をロジカルに解き明かされていますので、非常に興味深く読むことが出来ました。

さて、著者の考えを単純化して示すと次のようになります。

1.新薬の研究開発能力を考えるに際しては、上流の探索段階と下流の開発段階に分けて考える必要がある。探索段階とは、新たな薬効を有する化合物を探索する段階であり、開発段階とは、探索段階の次のプロセスで非臨床試験と臨床試験である。

2.探索段階における成功要因は、1、プロダクトチャンピオンの粘り強い研究姿勢、2、スポンサーの存在と研究の自由度、3、積極的なコミュニケーションと情報収集、4、適切な研究ドメインの設定の4つであるが、1,2は属人的なものであり、3、4は組織的なマネジメントが可能である。全般的に言えば、この段階におけるマネジメントの役割や有効性は限定的である。

3.一方、下流段階である臨床試験においては、その取り組みは「個人」から「組織」へと移り、新薬開発プロジェクトは体系的に進められるようになる。この段階においては、不確実性は探索段階よりも低減し、合理的な意思決定ができる可能性も高まる。そして、組織で行う活動であることからマネジメントが介在することが可能となる。

3-1.この段階における競争優位の源泉は、「go or no-goの判断」能力と「プロトコル・デザイン」能力である。また、「プロトコル・デザイン」能力は、新薬開発の成果に直接影響を与えると共に「go or no-goの判断」能力に影響を与える。

3-2.「go or no-goの判断」能力とは、開発中新薬候補品を臨床試験の次のPhaseに進めるか否かを判断する能力である。そしてその構成要素は、?「因果関係知識の蓄積」と?「意思決定システム」である。

3-2-1.「因果関係知識の蓄積」とは、各薬効領域における動物試験結果、及び臨床試験結果の因果関係を精緻に推測するための知識のことであり、臨床試験のプロジェクトの「実行による学習」によって獲得しうるものである。つまり、「実行回数を重ねる=経験を積む」ことにより少しずつしか獲得できない。しかし、単に経験を積むだけでは、「因果関係の蓄積」が組織能力になるのではなく、人事異動などにより経験の多様性を高めることが重要である。

3-2-2.「因果関係知識の蓄積」を実現する新薬開発のアプローチにおいては、「大きく網を張ってタイミング良く一気に絞り込む」ことが必要である。「大きく網を張る」とは「安全性に問題がなければ、上市の可能性がある化合物をすべて臨床試験に進める」ことである。「タイミング良く一気に絞り込む」とは、「臨床試験開始後、開発費用が膨大になる前に、得た情報をもとに、更なるgo or no-goを迅速に決める」ことである。

3-2-3.「意思決定システム」とは、「どの段階でどのようなメンバーが参加し、どういった手法を用いて『go or no-goの判断』を行うか」に関する仕組みのことであり、判断の際に考慮されるのは、?化合物の有用性(有効性、安全性)、?市場性(患者数、マーケットシェア絵、薬価、特許期間)の2点である。

3-2-4.意思決定に際しては、デシジョンツリー法、NPV(正味現在価値)法やリアルオプションなどの手法が導入されているが、最終的には人間の総合的な判断が重要であり、意思決定のタイミング、参加者、手法などを含めた総合的な意思決定システムのデザインが、「go or no-goの判断」に影響を与える。

3-3.「プロトコル・デザイン」能力とは、臨床試験を適切に進めるための能力であり、?そのデザイン次第で、臨床試験の結果の解釈が変わる、?デザインが不適切な場合、開発期間が長期化する。これらの観点から「go or no-goの判断」に影響を与える。

3-4.「プロトコル・デザイン」能力は、それ自体が直接的に影響を与えることが、ある製薬会社の開発中止事例の分析から判明した。

著者は、自らが展開してきた研究開発マネジメントや研究開発戦略の議論を基礎として、「規模の経済性」が実証されていない医薬品産業において、昨今、活発化しているM&Aの必然性に疑問を投げかけています。具体的な代替案として、?選択と集中、?学習を視野に入れた戦略的提携の活用、?オペレーション能力の強化の3つを挙げ、「経営の質」を高めることによる生き残りを期待しています。

何が正解かは、最終的には実行してみなければ答えのでない経営の世界ですが、研究開発のマネジメントのあり方や経営戦略を考える上で示唆に富んだ内容となっています。

製薬業界におられる方には、興味深く読めると共に、自社の開発のマネジメントや戦略を考えるヒントを得ることができるのではないでしょうか。

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